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大阪高等裁判所 昭和36年(ラ)3号 決定

抗告人 被申立人 大川太郎(仮名)

相手方 申立人 田中花子(仮名)

主文

原審判を左のとおり変更する。

抗告人と相手方との間の長女大川秋子の親権者を母である相手方と定める。

右秋子の監護者を父である抗告人と定める。

理由

本件抗告の趣旨及び理由は別紙のとおりであり、当裁判所は証人池田一郎の尋問並に抗告人及び相手方各本人尋問をなし且つ原裁判所に調査嘱託をなした。

記録によると、原審判は、昭和三五年九月二日京都家庭裁判所において調停離婚をした抗告人と相手方の婚姻中における抗告人の行状に不貞の行為が止まなかつたため不和を生じ、離婚に至つたこと、相手方及びその実家の資産及び収入状態が抗告人一家の資産及び収入状態に比較して裕福であること、相手方の性格や生活態度が一般女性として正常であり、且つ長女秋子に対する母としての愛情も通常人として劣るものでないことを夫々証拠により認定した上、右秋子が現在満四才の幼児であつて、その人格形成については、父よりもむしろ母の愛情としつけを必要とする年代と考えられる点を考慮して右秋子の親権者を母である相手方田中花子と定め、抗告人大川太郎に対し秋子を相手方に引渡すことを命じたものである。

而して右離婚の主たる原因が抗告人の女性問題にあつたことは原審の認定したとおりであり、又当審における抗告人及び相手方の各本人尋問の結果からも、之を認められるのであるが、本件記録及び当審における一切の審理経過から考えても、現在抗告人が未成年者秋子を養育する上において支障となるような品行状態にあるものと認定することはできないので、婚姻中に不貞行為があつたことから当然親権者たるに値しないと速断するに当らない。

又原審における調査官野川照夫の調査の結果によつても、双方の資産及び収入には或程度の差はあるとしても、親権者をいずれに定めるかの判断に対し決定的な標準となるほどの相違があるものと認定することはできない。相手方の性格及び生活態度、母としての愛情に付ては当裁判所の所見も原審のそれと同一であるが、一方前記野川調査官の調査の結果及び当審における抗告人本人尋問の結果並に後に認定する未成年者秋子の幼稚園通園状況などから考えると、抗告人及びその家族が秋子の養育に付て抱いている熱意と愛情も相手方のそれと比較して何等劣るところがないものと認められる。してみると、原審の説明するように、満四才の女児の人格形成については父よりもむしろ母の愛情としつけを必要とする年代であるという理由を以て直ちに本件の結論を下してよいか否かに付ても躊躇させられる節がある。

ところで当裁判所の嘱託に基いて、京都市幸幼稚園についてなされた右野川調査官の調査の結果によると、未成年者秋子は本年四月一〇日以来抗告人の手で右幼稚園に通園し欠席欠課は無く、服装態度その他に普通の園児と異るところも無く、又抗告人及びその妹達が養育に付抱く熱意も並々ならぬところのある事実が認められる。又原審における右調査官の調査の結果によると、未成年者秋子は出生以来大半の期間抗告人方で成長したので近隣の同年輩の子供達と親しみがあつて落着いているに反し、相手方宅においては一ケ月と引続いて生活したことがないので近隣における遊び友達もいないことが認められる。

尤も相手方は自己が昭和三五年五月末頃家庭の不和のため秋子を連れて一時実家に帰つていたところ、抗告人の父が一日だけということで連帰りながら今日までそのまま引留めていることに著しく不満を感じているのであり、右の経過は当審における相手方本人尋問の結果により明かであり抗告人本人もその当日相手方宅に戻すつもりであつたと述べているのであるが、前に認定したとおり秋子は元来抗告人宅で養育されたのであるから、出生以来今日までの生活状況を通じて考えてみると、右の連れ帰りの際の経緯を余りに重大視することも相当でない。要するに親権者の指定に付ては、両親の離婚という不幸が子に及ぼす影響を最小限に食い止めることを主眼として之を判断すべきであり、その見地から言えば、子の出生以来現在迄の生活状態が兎も角一応安定したものである以上、今直ちに之に対し変動を起すことはなるべく避けることが必要である。

しかし、さればといつて本件の相手方のごとく、母として子の将来に付格別の関心を抱いているに拘らず、差当り監護教育の任に当らしめることができないからとて之を親権の行使から全く遠ざけてしまうことも適当ではないのであつて、そのために生ずる紛争が子の幸福に及ぼす悪影響を避けることも十分考慮を要するところであり、現に抗告人も当審において、たとえ親権者を相手方と定めても少くとも直接監護教育の任に当ることだけは自己の手に確保したいと希望していることに相当の理由があると認めないわけにゆかない。尤も之に対しては、相手方は自分が秋子の引取のための直接行動を控えたために、抗告人が今日まで養育に当ることができたに拘らず、かようにして作り上げられた事実状態を前提として今後の監護教育の権利を決定することに対し不満を述べるのであるが、前記判断は最近の事実状態のみに重点をおくものではなく、秋子の出生以来の永い生活歴を通じての観察に基くものであること先に説明したとおりである。

而して親権の内容としては身上の監護教育の権利義務の外にも身分上及び財産上の行為の代理、並に子の財産の管理などの重要な権利義務があり、通常親権者指定の審判事件においては、これらの権利義務が一括して父又は母の一方に委ねられるのであるが、極めて例外的な場合には、親権者に指定されなかつた親或は第三者をして監護教育の権利義務を行使させなければ、子の幸福を確保できない事例も当然考えられるのであつて、必ずしも監護者を第三者にのみ限る理由もないと解する。又抗告人は本件抗告の提起後、別に原裁判所に対し監護者指定の審判の申立をなし、現在係属中の模様であるが、家事審判法第九条第一項乙類第四号民法第七六六条第一項後段に基く監護者指定の申立は、親権そのものの帰属に付ては父母の協議が成立し、現実の監護教育の権利義務に付てのみ、協議が調わないか、又は協議をすることができない場合になさるべきものであつて、監護教育の点を含む親権そのものの指定の審判事件が係属中の場合は、親権の内容たるすべての権利義務を考慮に入れて子の幸福の為万全の措置をなすことは、家庭裁判所はもとより、抗告審を担当する高等裁判所としても当然の責務であり、この点に付重ねて監護者指定の申立をすることは不要である。

以上の次第であるから、本件は正しく先に掲げた例外的の事案に該当するものと解し、未成年者秋子の親権者を母である相手方と定めると共に、父である抗告人をその監護者と定めるのを相当と認め、之と一部符合しない原審判を右のごとく変更する。

尚、以上の判断は勿論離婚した父母の子に対する愛情の満足のため安易な妥協をはかつたものではなく、子の幸福のためには、両者の紛争に速かに終止符を打つことを急務と考えたものであるから、今後当事者双方ともこのことを念頭に置いて十分行動の慎重を期さなければ、将来事情の変動に応じて随時、或は親権者を抗告人に変更の審判を受け、或は監護権を相手方に戻す審判を見る場合も考えられるのであつて、双方の自重を切に要望する。

仍て主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 加藤実 裁判官 沢井種雄 裁判官 加藤孝之)

抗告の趣旨及び理由

原審判を取消す、本件を京都家庭裁判所に差戻す、との裁判を求める。

一、抗告人と相手方との結婚並にそれ以前の実情

抗告人と相手方とは昭和二九年一二月一日結婚式を挙げ同月一四日婚姻の届出を為し以来同棲し茲に夫婦として協同生活を始めるに至つた。抗告人と相手方が結婚するに到りし事情を陳述すると元抗告人は相手方の父Aが社長であるT織物株式会社に勤務していたが当時その勤務状態良好なるにかんがみ相手方及びその父母が抗告人を見染め相手方を抗告人の嫁にとの申入れを受けた。相手方の家庭の状況は当時より複雑を極め、且つ出入職人であつた抗告人が社長の娘と結婚するについては土地柄、なにかにつけて芳しからぬ風評を立てられる事を恐れ、抗告人はその申入れを拒絶したが相手方及びその父母の懇請に抗告人もその気持を動かされ、茲に二ケ年勤務の傍ら相手方と交際した結果前述の如く婚姻するに至つたものである。

二、婚姻後の一般実情

婚姻後二人は別に家を借り茲に協同生活を営む事になつた。勿論抗告人は前述のT織物には引続き通勤していた。抗告人の収入は袋入りの儘、相手方に交付し、別に抗告人は仲介等(織物関係には織物売買に関する仲介が多い)を為し、その収入を小遣いに充当していた。そして世間一般の生活を営んできた。その間長女の秋子の出生を見るに至り、抗告人は益々勤労の意慾に燃え、主柱としての責任を果すべく日夜努力してきた。その世間一般の夫婦生活にありがちな口論等も抗告人と相手方間にありはしたが総じて平穏な日々を持続していた。昭和三四年八月抗告人一家は現在の抗告人方に転居した。その後抗告人は自身にて商をすべく五ケ年勤務の右会社を辞し昭和三十五年五月現在のNなる織屋を経営するに至つた。その結果概して生活も向上してきた。

三、離婚当時の実情

抗告人と相手方及び長女秋子の三人は抗告人方家族の暖かい愛情の中で日々を恙がなく暮らしてきたところ昭和三五年五月二一日相手方は遊びに行きたいと云うので抗告人の妹が好意を以つて徹夜で相手方と秋子の服を仕立てた。相手方はそれを着服し秋子と共々翌二二日出掛けたがそれが家出と判つたのはその翌日の事であつた。既に相手方の身廻品は何処かに運び去られていた。その直後家庭裁判所より調停の呼出が到達した。内容は離婚の事である。抗告人初め家族一同余りの突然の事に暫し物事を正常に判別する能力を失つたかのようであつた。相手方の実家に行き、その理由を問い正してもただもう帰宅しないの一点ばりでとりつくしまなく、やつとの事で秋子だけを連れ戻すことができた。調停での席上に於ても抗告人の慰留の要請にも拘らず相手方は頑として飜意せず、抗告人は一度は調停を不成立にすべきだと考えはしたが、相手方の意志が余りにも強固なる為これ以上協同生活を父母が反目して家庭を暗らくしては一層秋子の教育上好ましくないと思慮し遂に離婚に応じたのである。その時秋子の親権についても協議されたが、協議は調うに至らなかつた。相手方が離婚を決意するに至つた理由を耳にしたところでは抗告人の不貞だという事であるが、これは以下陳述する如く抗告人の日常の行為を特に曲解したものであつて、亦抗告人のそうした行為の原動力については相手方にもその責の一端があると思考する。抗告人は相手方との結婚前の二〇才の折奉職中一人の女性との交渉があつたがその事は結婚するに当り相手方も十分承知(ただし結婚するにつき相手方と交際を始める時は交渉は消滅していた)していたものである。結婚後も抗告人がT織物に勤務した事は前述した通りであるが、会社経営上、同業者との交際或は顧客の接待等は欠く事のできない業務の一つであるところたまたま社長はその席上にはべるに苦痛を感じ亦専務の相手方の兄は酒癖が悪い為に平社員(尤も重役は全て家族)であるが娘婿の抗告人がその衝に当る事となり、それが為バーや祇園に出入りする回数も多くなり出した。此の事につき専務は酒好きのせいか特に邪気を抱いていたようである。亦会社には女の事務員も居たが、相談相手として抗告人を選び為に二人で話合う機会を生じた。相手方等は右二つの事柄を極度に邪推した挙句日頃から脳裡に潜在していたと思われる、「自己は社長の娘である」という意識が『貧乏人が此の様に世間様とお付合いできるのも父のお蔭だ……』と云う蔭口をはくに至つて結婚当時抗告人の心配していた事の現実化に抗告人は日夜苦しみその為外での酒で気を紛らわすことになつたのである。

四、双方の家庭環境等

1、抗告人方 抗告人宅には本人(三二)父a(五九)母b(五九)秋子(四)妹c(二六)妹d(二四)妹e(二一)の七人が同一世帯にて生活をしている、父は綜絖業を営み月間取引高一〇万円位で純益四、五万抗告人は前述の職業で月間取引高九〇万円位で純益一五万(丹後に在る工場に請負わしてやつているが月間支払高十二、三万円でその都度完済)妹cは自宅にて洋裁個人教授をなし月収一万三千円位、妹dは美容師として務め月収一万円位、妹eは抗告人の手伝並に家事手伝をし小遣として抗告人が月五千円を交付している。家族の全収は相当なものであるが、家族の生活費は父と抗告人の収入を以つて当てているが尚余剰金を生じ貯蓄にも充当している。尚抗告人方には不動産として現在居住家屋(木造瓦葺二階建延建坪二八坪)及びその敷地時価約百三十万円相当を蔵し且つ別に隣家に六坪の半永久的の仕事場としての権利をも有している。前述の家族は皆健康優良にして、夜はテレビ、ラジオ、会話等に親しく団欒し、その雰囲気は極めて良好である。亦周囲の環境としては之れまた良好で直ぐ前に湯屋ありて衛生的によく、小学校、幼稚園も自宅より四百米の範囲内に存し、抗告人は昭和三六年四月右幼稚園に秋子を入園さすべく申請をしてある。

2、相手方宅 相手方(二九)父A(六二)長兄B(三八)同人の妻C(二九)その子D(六)E(二)姉F(三五)養子となつた同人の夫、G(四一)その子H(小三)I(小一)弟J(一八)弟K(一四)他に従業員として男二人女一人の多勢にて生活をなし尚別に父の内妻L(四四)がその子M(高校三)と共に別居している。そして学生、子供以外は皆T織物株式会社の社員として勤務している。しかし前述の如く株式会社と称しても個人経営とさして変化はない。此の様に大勢の家族が同居している事は亦その複雑性をもたらす事は必定で此の家族もその例外でなく長男Bは酒癖が悪くかつ抗告人がT織物に勤務していた当時、抗告人はBに左手指のつけねを刃物で切られた事がある。現在でも、その傷跡は残つているが父Aは抗告人に対し親しく長兄の非を詑びたものであつた。亦姉のFは元バーに女給として務めていた女で、家庭の不和が原因により家出して現在は居住していない。亦現在別居中のLは父Aの三人目の妻で一度は、その子Kと共に同居していたが長兄Bとの間に関係を生じ為に紛争を起すことになり、その結果別居となり、T織物に通いで手伝いをしている。次に生活状態は全員給料制で相手方も機織して得た賃金より食費を支払つている。抗告人は五ケ年間、この会社に勤務せる体験より女一人の収入額はせいぜい月収九千円程度にしかならぬと考える。亦不動産として敷地六〇坪その地上中二階の建物を有するが現在は担保に入つているとの事である。

五、大川秋子の性格等

前述の如く秋子は抗告人を父とし相手方を母とし、昭和三一年九月一六日出生したが、母乳が全然出ない為に人口栄養で長じ育成されてきたものである。亦今日まで一度も「しによう」をはずした事がないと云つた体質でその性、生来神経質であると近所に在る病院並びに医院の各医師が診断している。然しながら抗告人及びその家族の絶えざる忍耐深き愛情に恵ぐまれ現在はいく分か良好に向い近所の子供達とも朗らかに交う事を覚えてきた。

六、綜合的結論

以上十分とは云い得ないが実状の概略を陳述した。茲にかかる現状に立脚し、親権者指定の基準にふれ原審審判の不当性を、その審判理由付を通じ反駁するものである。

1、親権者指定の基準 不幸にして父母の共同親権行使に困難を生じた場合いずれか一方に親権者を指定しなければならないが指定するに当つてこの基準として如何なる事項を充てるかにつき種々その説は考えられる。しかしながら最大の基準を「子の将来の福祉幸福のため」を目的とする崇高なる理念に置き、子の健康状態を初めとする一切の事情を斟酌して定めるべきであり且又過去の事情よりも最近及び将来に想ひをはせて考慮の上指定さるべきが至当であると思料する。

2、不貞の行為 原審は抗告人が相手方と婚姻前及び婚姻後も不貞の行為が止まない為、抗告人と相手方とが離婚するに至つたと判断しているが、前述の如く、結婚前一人の女性と交渉はありはしたが抗告人未だ二〇才の時分のことであり抗告人自身を庇護するわけではないが若い世代の男性に通常起り得勝ちな行為とは云えないだろうか、ましてやその事実は、すでに相手方との交際の当時には消滅していたものである点よりすればこれは断じて不貞という行為に該当するものではない。亦結婚後に就いてのバーや祇園への出入は会社の発展性を願う社長の命によつたもので、ただに抗告人一人ではなく、広く抗告人等と職を同じくする世間一般の男性の業務内容として認められるべき行為である。ただ抗告人の場合は右の行為が、その程度を多少越したというに止まるものである。女事務員との交際にしても、ただ単なる同社員としての交際の域を出ずるものではなく、抗告人の親切心を徒らに男女間の行為にまで相手方等が飛躍解釈したものに外ならない。そうした相手方等の故意は結婚前の社長一家とその従業員との関係及び賢明ではあるが、ひがみ根性の旺盛なる相手方の性質等から派生したものであつて、第三項終りで陳述した如く抗告人を苦しめ戸外での慰留に走らせる結果ともなり、独り家庭の不和は抗告人のみの責に帰すべきでなく、相手方も十分その責を負うベきであると考える。抗告人はその行為を不貞と決めつけられる事に、こよなき憤りを感ずるものではあるが抗告人にも多少の行過ぎた行為のあつた事実を認め、之れを悔い、将来妻帯せず、長子秋子の育成に研心したいと念願しているものである。一般的に審判に於いて、不貞或はその他の有責行為に重きを置き有責離婚者は親権者として適当でないと判断される事案が多いが、それは余りにも司法的解決であると信ずる。確かに、それは親権者指定に当つて一つの基準として尊重すべきではあるが有責離婚者でも親権者として無責離婚者より適当な場合もあるから司法的な此の考え方も子の福祉の為にという最高基準には服さねばならない。原審が余りにも不貞という文言に重きを置き本件審判に及びしはかかる肝点よりして不当と云わざるを得ない。

3、資産、生活状態の比較 抗告人一家と相手方及びその家族の資産及び収入状態等は第四項に大略陳述したが、抗告人が相手方より劣ると判断され得るであろうか、確かにかつて抗告人方は父及び抗告人が相手方に労働力を提供していた俗に云う主従関係にありはしたがそうだから云つて生活状態が劣るとは即断の限りではない。反えつて現在は前述した如く、抗告人方が相手方側に優れて居りはしないだろうか、収入の状態において然り、亦子供の育成にとつて一番大切な家庭の環境において、抗告人方は抗告人はじめ一家は一丸となり、お互いに理解しあつた暖かい生活を営んでいる。しかるに相手方は世評にものぼる如く複雑怪疑の様想を呈している。謂く相手方の父の内妻、Lが未だ入籍されていない事実即ち父A生前中より相続問題に紛争を生じている事実、かつて長男Bがその子の出産費用について抗告人に相談を持ちかけた事実即ち同人をして実父Aに相談できない様な気をもたらした家庭内の暗らい空気、妻が居ながら夫たる養子Cが食事の用意をしている事実、亦同人の労働力消費の割に十分なる食をとれず、月額三〇〇円程度の小遺いや風呂賃さえも間食に充ててる事実特に風呂賃をもらうやそれにて焼芋を買食し、遊園地の水道にて手拭を濡らし首筋をふき入浴せる如く仮装した事実亦相手方自身も結婚当時『此の複雑な環境から開放されたい』と常に口にしていた事実、第四項陳述の事実、その他枚挙に暇なき家庭の複雑性を考慮すると、原審の抗告人一家より相手方及びその実家の資産及び収入状態が裕福であるとの判断は財産的にこれ亦当を得なく且つ環境判断の脱漏と謂う審理不尽という不当性を有するに至つたものである。

4、相手方の性格愛情等 相手方が原審判断の通り、一般女性として正常であり母としての愛情も通常人並であることにさしたる異論はないがこの事が抗告人が父として不適格であるとなす根拠にはならない。亦四才になる秋子の人格形成上母の愛情と躾を必要とするという事は認むべきではあるが、父の愛情躾も亦欠く事ができないと思料する。相手方は現在実家に在るとは云いながら、俗に云う「出戻り娘」なる地位は娘当時いかに両親に可愛がられたとは云え、長男その他姉弟等の多い家庭内に於いて絶えず身を狭きに置かざるを得ない立場に在る。現に父Aが相手方の為に織機を三台入れ別に商売をさすと云つている事もそうした意味に於て理解され得るものである。ましてや秋子を連れてでは相手方自身さる事ながら、秋子の性格をより以上神経質に高め決して人格形成上、上昇にはならない。亦父Aの言通り相手方が独立して織物の商をするとしても、女なるが故にその労働市場は狭隘なる事火を見るより明らかである。従つて相手方は自己の能力体力の大半を営業に消耗し到底満足に子供の成長に貢献する事ができない。子の育成には愛情は不可欠ではあるが物質面の影響も亦見逃がし得ない事である。亦相手方に秋子に対する愛情ありとは云いながら本件調停が起きてより一度も秋子の姿を見に来ない。普通の母であればぬすみ見にも来るのだが……。これに反し抗告人の事業はじめ家族の業務も順調に上昇を示し、且つ秋子に対する抗告人の父としての愛情は勿論殊に妹の秋子に対する愛情は添付別紙の通り自己が嫁に行かなくても秋子の面倒を見ると云う言葉がほとばしり出る程深く大きなものである。決して実母に優るとも劣らぬ。従つて秋子が抗告人方に居る限り、父も母も揃つていると云う事ができ、秋子の育成上これにしくはなしと云えるのではないか。(参考までに抗告人の膝の上にて秋子が書いた数字を添付する)かかる実情に加えて秋子自身も、かなりの意思発表ができ、「パパ(抗告人)でなければ寝るのは嫌や」とか「ママの家に連れて行つたら靴履いて交番へ行つて連れて帰えつてもらう(抗告人方)」と誠に四才の子供が云うべきではないと思われる言を口にする如く抗告人方の生活に安堵している。この点の考慮についても原審は重大なる誤りを犯かしていると云わざるを得ない。

5、以上具体的に本件審判に対する論駁を試みたところであるが、何れの本審判の理由付も不当であるとの結論に到達せざるを得ない。仮りに相手方家庭が左程の複雑性に富んでないとすれば抗告人は多小の不満は忍耐の上に立ち原審判に服する気持ちも生ずるであろうが、前述の如く到底秋子にとつて、幸福なる生活を営む事を期待できない以上、原審判の取消を求める事こそ「秋子の福祉幸福」ひいては社会国家の為になると確信する。よつて本抗告に及ぶ。尚抗告審に於かれては親しく実状調査の衝に当り、此の重大なる事柄に対処せられん事を切に希望する次第である。

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